40代からの乗り鉄ひとり旅

40歳代になり、時間とお金余裕が出来たので日本全国を巡る旅を記録します。

乗り鉄の旅 山陽本線北九州編

2013年10月13日

今回の旅の目的地は九州。

鉄道の日フリー切符を事前に購入。

距離を稼ぐ為に夜行バスを広島県西条駅前まで利用。
とは言うものの、定時を過ぎて19時半くらいまで普通に残業。『用事があるので定時で上がりますって』前持って言ってても、誰1人『早よ帰れや』なんて声をかけてくる人間はいない職場。
職場には車を乗っていっていたので、なんとか高速を使って8時半に帰宅。

用意していた旅の荷物を持って三田行き神戸電鉄普通列車に乗車。三田駅から丹波路快速大阪駅へ。

23時発車の大阪駅からJR高速バスに乗車。

座席は3列シートの路線をチョイス。4列シートだと真ん中に通路で左右に2脚ずつのレイアウト。3列はバスの真ん中に1列シートが並んでいて、左右に狭い通路があって窓両側に1列ずつシートが並ぶレイアウトになる。個々のシートが独立しているので、隣を気にすることなく爆睡できる。
途中、何回かサービスエリアでトイレ休憩。

 

2013年10月14日

朝6時前にJR山陽本線西条駅に到着。
南岩国行き普通列車に乗車。南岩国駅で下関行き普通列車に乗り換え。待ち時間があったので、駅のホームから蓮の葉っぱを眺めてた。他には何もない駅。ひとつ手前の岩国駅で乗り換えればよかった。

更に徳山駅岩徳線からの接続待ち。15分間の長い停車時間を挟み西条駅から5時間以上かけて下関駅に到着。

下関駅では門司行き普通列車に接続。乗り換え時間は3分。しかもホーム隣のなので、久しぶりにダッシュした。良くこけなかったものだ。
門司駅から鹿児島本線始発点の門司港駅に向かう。門司港駅は古い駅舎のままで昭和初期にタイムスリップしたかのような雰囲気。鹿児島本線0キロポストも確認。

門司港駅前からは平成筑豊鉄道の観光トロッコ列車が走っていて往復乗車。終着駅のめかり広場には懐かしのステンレス機関車EF30-1が静態保存。ステンレス機関車の実物を見るのは初めて。めかり広場から門司港前までリターン。
門司港駅前には九州鉄道記念館があり、SLをはじめ485系581系なんてものが展示してある。

せっかくなので入館。たっぷり堪能。

 

門司港駅から荒木行き快速列車に乗車。

当初、そのまま南下して鹿児島に向かうつもりでいたが、九州鉄道記念館でだいぶタイムロスいやいや、有意義な時間を過ごしたので、目的地を長崎に変更。
鳥栖駅から長崎本線の特急かもめに乗車して、浦上駅で下車。

浦上駅で旧長崎本線ルート方向の長与行き普通列車キハ65に乗車。

長与駅佐世保行きに乗り換え新線との接続駅喜々津駅で長崎行き普通列車で再び長崎方面に向かう。その間にネットで検索して空きのある宿を探す。長崎中華街近くの繁華街のホテルを確保。
長崎駅前からは長崎電鉄路面電車蛍茶屋駅へ。乗り換えて西浜駅で下車。

徒歩でホテルに到着。チェックインを済ませてロビーで待機。
ホテル前から観光バスで稲佐山の夜景を見に行くツアーに参加。バスの中は女子率高し。

男性単独は自分1人。
夜景はさすがに圧倒されるくらい綺麗だった。ホテルまで観光バスで戻り一日目はこれで撃沈。

 

2013年10月15日

朝、起きれなかった。というか寝落ちしてしまったので、朝風呂をさっと済ませ観光通り駅から長崎市電で天主堂方面乗車へ。港町駅で乗り換え。

長崎観光は人生2度目。大学時代、アルバイト先の慰安旅行に連れて行ってもらったのが1回目。当時付き合っていた同じバイト仲間の彼女と一緒だったが、何が原因か覚えてないが、旅行に出かける直前に大げんかして、口もきかない状態。しかも、その旅行中にバイト先の社員がチャンスとばかりに彼女にアプローチ。旅行中はそんなんを横目で見て悶々としていた思い出しかない。結局、彼女は旅行中に仲直り出来なければ別れるつもりだったそうで、慰安旅行の後、さっさとアプローチしていた社員とくっついた。
その思い出を払拭する為ではないが、観光名所を徘徊。
まず、グラバー園。なんかだいぶ工事してる所が多くてどうやらバリアフリーの斜行エレベーターをつけるみたい。
展示物はほぼ変わってなかったと思う。記憶の引き出しのイメージと合致した。
長崎歴史資料館も多数の祭の山車が展示されてたのも変化なし。大浦天主堂は外から見て終了。
長崎市電で赤迫駅まで乗車。これで長崎市電全路線完乗。
赤迫駅折り返して浦上駅まで戻る。

途中の平和公園やら原爆資料館をみたかったが時間の関係で断念。
浦上駅からは長崎本線から大村線経由で佐世保駅まで快速シーサイドライナーに乗車。
佐世保駅の駅前ターミナルで佐世保バーガーのお店を発見。100%ビーフ250gのスペシャルをチョイス。佐世保佐世保バーガーを食す。
佐世保駅からは特急みどりに乗車。

783系、ハイパーサルーンと呼ばれるJR九州民営化後初の特急車輌。パノラマ展望の最後尾車両が自由席だったので、後方展望かぶりつきき席を確保。佐世保線早岐駅でまさかのスイッチバック。はじめて乗ったので知らなかった。後方展望だったパノラマ展望は先頭車両に。博多駅までの1時間半、前面展望鉄道の旅を満喫する。
ところが高級観光寝台特急の七つ星の遅延の影響で博多からの列車が軒並み遅れていて、途中の単線区間の列車交換時間がえらいかかる状態。結局、博多駅まで2時間まで弱かかった。
博多駅から787系特急きらめきに乗り換えて小倉駅まで。ここまで特急で時間を稼いだが遅延の為、予定時間の列車に乗れていない。
小倉駅につく前に予定を変更。小倉駅から新幹線こだまに乗り換えて新山口駅までワープ。
新山口到着が15時32分。こだまの発車時刻は15時40分。余裕で乗り換え窓口に行けば5人くらい並んでる。
順番に進み後3分で発車時刻ってところで、後は婆さんひとり。なんとか間に合いそうやとおもったら、同じく遅延でのぞみに乗り遅れたようで、時間変更。ご飯食べるから1時間後ののぞみにって、だったら順番変わって先にやらしてくれっててのをぐっと我慢していたら、遅延した事をJR北海道の事件を引っ張りだして窓口担当者に文句を言い出す始末。さっさと追い金払えばいいのに、『遅延して変更やのに差額払わないとダメなん』って事を言う始末。

既に時間は15時40分。時間を稼ぐつもりが次の列車待ちでタイムロス。時間ができれば山陰本線経由で帰ろうかと算段していたが、岡山駅に到着できるかどうかすら危うくなってきた。
16時5分発のひかりに乗って新山口駅へ。

新山口駅から岩国行き普通列車に乗り換え。

徳山駅についた時点で今晩の岡山入りを諦め、ひと月半ぶりの広島で宿を取ることに決定。

そうなれば、時間を有効に使う為、旧山陽本線だった岩徳線岩国行き普通列車に乗車。非電化区間なので現在の海側の山陽本線より時間はかかる。
岩国駅の時点で20時回っていた。

岩国駅からは再び山陽本線糸崎行き普通列車に乗車してターミナル駅の広島駅で下車。

広島駅前から広電でホテルの付近八丁堀駅まで乗車。ホテルには21時半ごろに到着。
チェックインを済ませて荷物を置いき、以前、BSの空から地上を見てみようでとりあげられていた、お好み村へ。年末もここでお好み焼きを食べて美味しかった。お好み焼き文ちゃん。オススメです。番組の話で盛り上がり長居してしまいました。
そのあと、終電まで時間があったので広島の新交通システムアストラムラインを往復完乗。
広島の夜は華やか。繁華街でダイナマイトボディ美女に声をかけられたが、声が男。つまりニューハーフ。びっくりディープ過ぎる。

 

2013年10月16日

宿で翌日の予定を思案するも、広島から芸備線経由で日本海側に抜けるつもりでいたが三次駅から先の接続が悪い。福塩線で戻るにも大幅にタイムロスある。

倉敷駅から特急やくもに乗れば伯耆大山駅まで行けるのだが、これまた山陰本線の接続が悪い。
結論、岡山駅まで普通列車に乗車、特急スーパーいなばで北上、鳥取駅から山陰本線和田山駅まで行き、播但線で姫路まで南下、山陽本線で尼崎駅まで戻り、あとは福知山線三田駅に帰るルートを選定。
あとは定刻通りに乗り継ぎするだけ。
ホテルから広島市電で八丁堀駅から白島駅まで乗車。これで広電制覇。
白島駅から広島駅まで徒歩移動。
広島駅はごった返していた。どうやら可部線で遅延があったらしく、すでに山陽本線も5分程遅れていることで、岡山駅での特急乗り時間は3分。暗雲たちこめる。
糸崎行き普通列車で広島駅を出発。

糸崎駅で岡山行き普通列車に接続。
岡山駅に到着したのは特急スーパーいなば発車の1分前。幸い同じホームの向側だったので滑り込みセーフ。
特急と言っても2両編成。車両は振り子式台車を使用したディーゼルキハ187系。山間部をハイスピードで駆け抜け鳥取駅まで1時間半。途中、智頭急行の路線を走破。鳥取駅からも非電化区間なのでたらこ色のキハ47系ワンマン車両で浜坂駅まで乗車。
駅浜坂で約30分の接続待ち。駅の外には余部鉄橋の資料やキハ181系特急まつかぜの資料などかなりマニアックな内容てんこ盛りの鉄子の部屋がある。
浜坂駅からは快速豊岡行きに乗車。と言ってもキハ47には変わりない。

余部鉄橋を通過。旧線は途中でブチ切れてまるで999の始発レールのよう。新線はコンクリート製の橋脚で暴風壁も施されている。
かつての大事故の教訓。
海は大荒れだったが、列車は止まることなく進み。豊岡駅で福知山行きに113系普通列車乗り換え。城崎温泉駅から山陰本線は電化されている。
特急車両の多く走る城崎温泉駅から福知山駅間を、どう考えても113系でハイスピードで走るのは無理がある。いつも車内は大揺れ。コイルばね台車の限界。高速化を狙うなら車両を223系の変更すればいいのに。
和田山駅播但線に乗り換え。

入線してきたのはキハ47系の中間車改造の先頭車両。まるで食パンのような形状。しかも増設した運転席の後方にはトイレというとんでもないレイアウト。編成車両が少なくなり、ダブついた中間車を改造して先頭車両にする手法は結構ある。いわゆる魔改造
寺前駅で姫路行きの残存する103系に乗り換え。
姫路駅構内の吉野家で、今日初のまともな飯にありつき、野洲行きの新快速で尼崎駅まで。尼崎駅から丹波路快速三田駅へ。あとは神鉄に乗り自宅最寄りの道場南口駅で下車。徒歩で帰宅。